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1997年以降は現在編集中です。。。
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Date: 2006/12/07(木)
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1996(平成8)年 衆院選4選 初めての小選挙区制で勝利
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1月 土地の流動なくして景気の浮上なし!政策活動レポート(くにあがた)
3月 室生村でタウンミーティング(ゲスト:漫才師の中田カウス・ボタンさん)
4月 日米が共同で21世紀の情報化社会、ネットワーク時代における政府と地域社会の役割を考える「デジタルコミュニティズ・フォーラム96」にパネリストとして参加。
5月 日米国会議員会議に出席し、朝鮮半島有事についての意見交換を行う。 衆議院決算委員会で質疑。
6月 「森林文化振興議員連盟」を前田武志が幹事長となり設立。木材への理解を広める活動を展開。 木造三階建住宅に於ける規制緩和や公共事業での間伐材利用促進などを実現させる。
10月 第41回衆議院選挙(奈良4区)に新進党から出馬。80.397票を得て4選。
12月 太陽党を結成。
写真:日米国会議員会議でゴア副大統領と握手を交わす前田 羽田孜元総理を中心に集まった同志と共に、政治生命をかけて改革を推進するために太陽党を結成。前田は総務会長に。
■真の国民の為の政治を目指して−主舵一杯− 今こそ国権の最高機関の国会の場で政策論議を通じて公約を果たし、迷走する日本丸を正しい方向に乗せようと私は主舵一杯、エンジン全開で論戦を挑んでまいりました。
決算委員会、商工委員会、行政改革特別委員会を主舞台に総理を始め各大臣と二十数回にわたり論戦論議を重ね、改革政策を進めさせました。
特に、地に落ちた金融の信用秩序を回復し世界に信用される公正な市場を構築するために、大蔵省を分割して発足させる金融監督庁については政府案に対して監督庁の運営方針を私が原案を作成して付帯決議として自民党をはじめ各党の賛成を取り付け成立させました。
医療、年金、介護、福祉問題については自民党に抜本改革を約束させ、我が党と定期協議を重ねています。ボランティア活動など市民の公益活動を支援するNPO法案についても総務会長として各党と協議し、まとめました。
(まえたけだよりNO.14より抜粋)
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Date: 2006/07/24(月)
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1995(平成7)年 阪神淡路大震災で即刻現地へ 新進党副幹事長に就任
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阪神淡路大震災で、党現地対策副本部長の前田は、現地の声を聞き復興のための方策を思いめぐらす。後、国会で代表質問に立ち、その見聞から得た意見を陳情した。
1月 阪神淡路大震災で即刻現地視察、党現地対策副本部長に就任、復興復旧に尽力。 前田武志後援会が炊き出しなどの震災復興ボランティア活動を行うため現地に入る。 衆議院予算委員会で震災関係などについて代表質問。
4月 衆議院決算委員会筆頭理事として、景気問題で政府の対応をただす。
5月 新進党奈良県総支部連合会長に就任。
8月 168号線の十津川道路が直轄代行の道として開けた。 これは前田武志が国土政務次官以来、尽力していた地域高規格道路に指定されていた五條新宮道路(168号線)のうち、県南部の発展に欠かせない道路。 他に桜井市を中心とする中和東幹線が計画道路、橿原市から香芝市に通じる中和西幹線が候補路線の指定を受けた。 これらの指定には「本県選出の前田武志衆議院議員が国と県のパイプ役を努めた」と地元紙は報じている。
9月 新進党政策対話フォーラム・イン奈良開催。 「阪神・淡路大震災、復興への道のり」レポート(くにあがた)
■ 馬脚現した村山政権■ 1月の阪神淡路大震災への対応の遅れに広く国民の怒りを買った村山内閣は、オウム事件では国家体制の不備をそのまま露呈した。
国際間の問題としては大和銀行がアメリカで大変なミスを犯したが、大蔵省はそれらを明らかにせず、日本政府はそのまま、このミスをもみ消そうとして、国際間において日本の信用をはなはだしく失墜させてしまった。
これらは日本の政治の責任であり、とりわけ村山政権の罪は隠しようがない。これに対して、新進党は日本政治史初の党首公選を行い「たゆまざる改革」「責任ある政治」をモットーに21世紀へ向かって新しい政権づくりにいよいよ乗り出した。 (1995年事務局通信より抜粋)
写真: 阪神淡路大震災で、即現地へ入る前田 新進党政策対話フォーラムで挨拶をする前田 国会出席率100%は全議員の中でも珍しい。前田はその一人。(平成7年12月12日付毎日新聞)
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Date: 2006/07/10(月)
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1994(平成6)年 たゆまざる改革・責任ある政治 21世紀へ新進党結成
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平成5〜6年、政局大転換の主戦場となった政治改革特別委員会において前田武志は筆頭理事を務め、機能不全に陥っていた政治の変革に全身全霊をかけて取り組みました。
1月 北川正恭氏(後の三重県知事)らと超党派の「NEW−WIC議員フォーラム」を結成。 市民に優しい電子自治体の推進に取り組む。
3月 林業「国産材時代」の実現へ レポート(くにあがた)
4月 第24次地方制度調査会国会代表委員に就任。 「関西がアジアの中心となる日」レポート(くにあがた)
7月 「奈良県の道路」レポート(くにあがた)
11月 衆議院本会議で、クリーン選挙に関して代表質問。 五條市でさわやか文化講座を開催。(ゲスト:市田ひろみさん)
12月 新進党結成。副幹事長(国会対策担当)、国土・交通政策副担当に就任。
■ 新進党結成■ 自社さきがけのなれあい政権に対して、「たゆまざる改革」「責任ある政治」を旗印に、いつでも政権交代が出来る政党を目指した新進党が結成された。
日本が国力の頂点を迎えつつある現在、その持てる活力を閉じ込めてしまっている経済、社会の古い仕組みを簡素なオープンなものにする行財政改革・地方分権・規制緩和。
生きがいある町づくりに国民が積極的に参加出来る市民公益事業の推進などが必要。そのためには政治が指導力ある責任政治に脱皮しなければならない。
これらの問題に対して無力な現政権にいつでも代わり得るものとして新進党が結成された。 (1994年事務局通信より抜粋)
写真: クリーンな政治!腐敗防止法の必要性を訴え、衆議院本会議で代表質問する前田 政治改革、そして新政権。新進党を結成 新進党初代党首の海部元総理と前田 安田暎胤・薬師寺管主(当時は執事長)と堺屋太一氏
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Date: 2006/07/09(日)
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1993(平成5)年 115.893票で衆院選3選 政治改革実現へ新党結成
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1月 「世界都市・関西とアジア」レポート(くにあがた) 衆議院決算委員会理事、衆議院土地問題等に関する特別委員会理事に就任。 改革フォーラム21を旗揚げ。この日東京から日帰り、五條の先祖の墓に報告、政治家として信念に基づく覚悟を誓う。
5月 世界的にも著名な米国シンクタンク「BROOKINGS研究所」で講演、日本政治の再編を予測する。 衆議院政治改革に関する特別委員会で、改革の理念を中心に論戦。
6月 宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党。 羽田孜氏、小沢一郎氏らと共に新生党を結成、奈良県支部連 合会長に就任。
7月 第40回衆議員選挙に新生党から出馬、115.893票得て3選。
8月 細川連立政権樹立に参画。政治改革特別委員会理事として政 治改革を推進。
10月 連立与党行財政改革座長代理に就任。 連立与党土地・住宅プロジェクト事務局長就任。
11月 新生党医療問題調査会副会長に就任。 「政治改革フォーラム」レポート(くにあがた) 「奈良県の道路」レポート(くにあがた)
榛原町でタウンミーティング(ゲスト:女優の浜美枝さん)
■決然と政治信念に従う■ 政治改革を実現するために、前田武志は新生党に参画。その時の覚悟を「決然と」と題するまえたけだよりNo.10で克明につづっている。 「政治改革を実現するという国民との公約はただ一歩の前進もなく反故にされ、解散総選挙となりました。この急な展開の中で、皆様にご相談する時間もなく、政治家として厳しい選択を迫られました。
この時にあたり私は全人格と政治信念に基づいて、羽田孜代表を中心に政権の主軸となる新しい保守本流の政治を目指して決然と新生党の旗を掲げました。 皆様には、その間ご心配をおかけしましたことを心よりお詫び致しますと共に、深いご理解を賜りますようお願い申し上げます。
振り返りますと、昭和61年、皆様の絶大なご支援により、故郷奈良県の代表として国会へ送り出して頂きました。以後、奈良県勢促進を軸に関西、アジアそして世界へと目を広げてまいりました。その中で、世界において大きな存在である日本。その日本の舵を取る政治に今ほど期待のかかる時はないと考えました。
この機に臨んでの政治不信はまことに憂慮すべき問題であります。一日も早く信頼を回復しなければなりません。皆様の代弁者として、皆様と共に考え、選択し、行動できる政治への改革が是非必要であります。この改革こそ私が情熱を傾け主張してきたことであります。
政治の改革はムードやイデオロギーに流されるべきものではありません。世界の大変動期にあたり、わが国の政治が国民の進路を明示できる、新鮮かつ自信に満ちた判断力と指導力とを取り返すことこそ政治に志す者の使命と考えます。」 (1993(平成5)年まえたけだよりより)
写真: 改革フォーラム21を旗揚げ(左から渡部恒三氏、前田、羽田孜氏) 政治家として信念に基づく覚悟を先祖に報告 細川連立政権樹立に参画 新生党から出馬した時の選挙ポスター
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Date: 2006/07/09(日)
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1月 フィリピンを訪問し、アキノ大統領らと会談。 大阪湾ベイエリア開発(130プロジェクト、15兆円予算)を国土政務次官として指揮。
5月 高齢化社会フォーラム−高齢化社会の健康・労働レポート−(くにあがた) 地域振興セミナー−地域活性化へ向けて−(くにあがた)
6月 国土政務次官として道路計画を促進。(第11次道路整備五カ年計画に地域高規格道路を盛り込む) 民間政治臨調の関西フォーラムに出席、政治改革の必要性を訴える。
8月 政府代表として17年ぶりにベトナムを公式訪問。経済援助再開の道を開く。
11月 尽力したテクノパークならが落成。
12月 鳩山由紀夫氏、菅直人氏らと制度改革研究会を立ち上げる。
■ 国土政務次官就任の意気込み■ 前田は国土政務次官就任について、次のように述べている。
「国土政務次官に任命されました。重要な任務であり、真に名誉なことです。これもひとえに皆様のご支援とご指導の賜物であり、心から厚く御礼申し上げます。 国土庁の役割は、国土の均衡ある発展を図るため、多極分散型国土を形成し、生活大国を実現することです。
関西文化学術都市、関西国際空港、京奈和道など幹線交通計画、山村振興対策などは奈良県の将来にかかわる国土庁の仕事です。やりがいのあるお仕事を頂いたと張り切って取り組んでいます。」
そして近畿圏や故郷奈良のために多大な功績を残し「平成5年度国土整備関係予算の閣議決定を見届けて」退任している。 国土政務次官時代に促進した県内の高規格道路などは、計画から20年を経てようやく形となってあらわれてきている。
写真: フィリピンのアキノ大統領と会談 国土政務次官として高規格道路と地域を結ぶ新しい発想の幹線道路の必要性を説き、策定中の第11次道路整備五カ年計画に“地域高規格道路”として盛り込むことに成功 北川正恭氏らと共に朝まで生テレビに出演(政治改革討論) 国土政務次官として、大阪湾ベイエリア開発(130プロジェクト、15兆円予算)を指揮する前田
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Date: 2006/07/08(土)
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1月 自民党研修局長に就任。 国土政務次官に就任し、地域高規格道路制度化等の国土政策を推進。 地域総合整備フォーラムで講演−関西の直面する諸問題−(くにあがた) グァテマラ大統領就任式へ党代表として出席
2月 国道168号線の整備促進協議会に出席。予算獲得に全力を尽くすと言明。 大和川ルネッサンス構想−盆地低地部に「湖上都市」vol3−(くにあがた)
3月 「トークイン・今こそ政治改革を」を開催。 (ゲスト:鳩山由紀夫氏)
4月 山村・林業研究会の会長に就任。勉強会を主宰。
5月 木造大型構造物利用促進研究会vol2(くにあがた) イギリス保守党本部を単身で訪れ、選挙制度について意見交換。
6月 モンゴルのオチバルト大統領と会談。
9月 大和川ルネッサンス構想−日本文化の源流・大和川vol4−(くにあがた) 生駒市の駅北口の再開発整備事業で国庫補助額獲得に尽力。 衆議院政治改革特別委員会で海部首相(当時)に改革断行を迫る。
10月 高齢化社会フォーラム−高齢化社会と労働対策−(くにあがた)
■ 実績かわれて国土政務次官に■ 国土庁は東京一極集中から多極分散へ均衡ある国土の発展を目指す中で、各省庁にかかわるプロジェクトの総合調整機能を持つ重要な役所。前田武志代議士は建設省在任中に、国土庁に出向し定住圏構想に参画するなど、国土づくりの専門家として活躍、国土庁の副大臣的立場でもその働きが大きく期待されていた。 (1991年事務局通信より抜粋)
写真: 宮沢内閣の国土政務次官に就任(前から3列目の右端) 政治改革特別委員会で海部首相に改革断行を迫る前田 モンゴルのオチルバト大統領と前田
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Date: 2006/07/08(土)
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1990(平成2)年 12,0327票 衆院選で2選 米・ソ冷戦体制崩壊
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2月 第39回衆議員選挙に自民党から出馬、120.327票を得て2選。 3月 この月末で失効する過疎法にかわって「過疎地域活性化法案」を国会へ議員提出。 5月 大和川ルネッサンス構想−その歴史をたどるvol1−(くにあがた) 6月 林材業振興を目指し、羽田孜元農水相(当時)を会長に「木造物促進研究会」を設立し、事務局長に就任。 別冊くにあがた発行−21世紀の関西圏− 木造大型構造物利用促進研究会vol1(くにあがた) 7月 自民党の国防議員連盟のメンバーとして、激動の東欧を中心に欧州を視察。各国の国防相、参謀総長らと意見を交換する。 9月 国会議員水泳大会で優勝。 大和川ルネッサンス構想−その構想と現状vol2−(くにあがた) 後藤田正晴・政治改革本部長代理(当時)を奈良県に招き、「政治改革奈良県大会」を開催。
11月 政策フォーラム−今後の公共投資をめぐる諸問題−(くにあがた)
■ 民主主義の貴さを実感■ 前田代議士は自民党国防議員連盟のメンバーとして、激動の東欧を中心に西ドイツ、フランス、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアを視察。 途中、破壊されたベルリンの壁に立ち寄り、自由を得たベルリン市民の目の輝きに自由と民主主義の貴さと、社会主義、共産主義の恐ろしさ、むごさを感じた。と同時に日本の将来を見据え、その責任を果たさなければならないと実感した。 (1990年事務局通信より抜粋)
写真: 選挙時のポスター ベルリンの壁の前に立つ前田 「木造大型構造物利用促進研究会」を羽田農水大臣(当時)を会長に発足。前田は事務局長に就任。各省庁を横断する役職者が集まり、真剣な議論が交わされた 国会議員水泳大会で優勝した前田(2年連続)
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Date: 2006/07/06(木)
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1989(平成元)年 国会で政治改革迫る 高齢化社会へ備え
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1月 衆議院逓信委員会理事に就任。 ふるさと奈良創生のために−元建設事務次官・井上章平氏を迎えて−(くにあがた) 2月 全米知事会議に出席。 3月 別冊くにあがた発行−関西文化学術都市特集−
4月 羽田孜代議士と共に情報通信勉強会をひらく。
5月 トークイン・今こそ政治改革を!鳩山由紀夫vs前田武志 トークイン・今こそ政治改革を!米国に学ぶ選挙制度
7月 高齢化社会フォーラム開催。
6月 自民党建設副部会長に就任。 党を代表して政治改革について国会質問。
10月 輸入鮮魚介類などの監視員の増員を厚生省に働きかけ増員を得る。
■高齢化対策で新しい社会システムを提言■
自民党の高齢化社会小委員会の主査に就任した前田代議士は検討会の結果をレポート。役割を持って生きようとする日本の高齢者と欧米の高齢者との意識の違いを指摘。
2020年には4人に1人が65歳以上となる日本の近い将来に言及、そのときは若い労働人口を補うマンパワーや、女性の潜在的労働力を受け止める地域社会の実現を含めた社会システムが機能するべきだと示唆した。
(1989年事務局通信より抜粋)
写真: 高齢化社会フォーラム 自民党を代表して政治改革について国会質問する前田 韓国の金泳三氏(後の大統領)と会談 鳩山由紀夫氏と政治改革について討論
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Date: 2006/07/06(木)
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1988(昭和63)年 政治改革の旗を掲げる 地域発展へ努力惜しまず
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2月 後の大統領のクリントン知事と会談 5月 第一回日米国会議員会議に出席。 河川についての勉強会−大和川の現状について−(くにあがた) 6月 森林についての勉強会−森林・林業の現状について−(くにあがた)
7月 奈良・未来21の集いで講演−ふるさと創生の具体案− (社)奈良工業会で講演−20年を見据えた税制改革−
8月 国土建設問題について意見交換−四全総における多岐分散について−(くにあがた)
9月 政治刷新を目指し鳩山由紀夫氏らとユートピア政治研究会を結成
■シルクロードタウン21 難関、最優先都市指定を得る■ 「ふるさとならづくり」で奈良市の核となるJR奈良駅周辺地区新都市拠点整備事業(シルクロードタウン21)の起工式が7月2日にあった。 この事業は建設省の策定した新都市拠点整備事業に基づくもので、全国で奈良、姫路などが指定を受けていた。 しかし、その優先順位をめぐって激しく攻防。前田代議士は中央省庁での人脈を活かし最優先の指定を得るにいたった。
また、旧国鉄用地の奈良市への払い下げでも長期間にわたる前田代議士の折衝の結果、やっと問題解決にいたった。 (1988年事務局通信より抜粋) 写真: クリントン知事と会談 鳩山氏らとユートピア政治研究会結成 奈良シルクロード博開催に尽力、会場を訪れる前田 月亭八方さんも参加した第一回青年研修会
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Date: 2006/07/06(木)
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